石川県・能登半島のこと⑥(2024年9/21~9/23)

月の輪接骨院の松岡です。
石川県・能登半島への震災後の訪問の回数も、6回目となりました。
今回は9/21からの連休を利用した、遠征時の出来事についてお伝えしていきたいと思います。

いまだ思うように進まぬ復旧に、追い打ちをかける出来事がありましたことを、あらためて触れさせてもらうことになります。

9/21(土)早朝4:30、名古屋を出立。

前日に確認していた石川県の天気予報は雨ということで、雨合羽やひざ下丈まである長靴などの装備を用意していました。

東海北陸自動車道から、富山を抜ける能越自動車道に乗って石川県七尾市に入る短縮ルートを見つけたおかげで、30分早く珠洲市まで行けるルートを開拓。

通い慣れてきても、新しい発見は探せばあるものですね!

石川県の北端に近づくにつれて、雲行きがどんどん怪しくなり、物凄い大雨に見舞われました。

穴水町を過ぎた能登町で、土石流が運んできた流木と土砂で道路が寸断?!
という情報を地元有志から聞き…通行止めが発生していることを知らされました。

 

道路復旧状況を知る為、出動していた消防隊の方に話を聞くと、道路の冠水が付近一帯で起きていて、抜け道を探して進めば…車両が水没する危険があるから、「動かないように!」
という指示をうけました。

協議の末…農協JA、ドラッグストアの前で待機することになりました。

建物前で県外から来られていたボランティアの一行からも、情報を収集。
台風14号から変化した温帯性低気圧と、活発な秋雨前線が重なった【線状降水帯が引き起こした豪雨】という事です。

後に報道で分かった事ですが、この能登半島豪雨は、百年に一回クラスの災害という扱いという事でした。
元旦の能登半島地震に加えたこの大雨被害、被災地の方々にとって、復興を阻む追い打ちになってしまったことは、とても悲しく深刻な出来事であると、受け止めています。

「この追い打ちは、ひどい。」
口に出してしまうと、皆もそう言ってしまうと思って、心の奥にしまってあります。

輪島市、珠洲市、能登町の被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。

 

 

道中の話に戻ります。
ここまで来て引き返す訳にもいかないと考え、軽く食事を摂り・トイレを済ませて待つこと2時間弱。
道路の封鎖が解けて、土木や電設関係車両が通行を再開したことを確認して、その列に加わり移動を再開しました。

開通こそしましたが、道路の半分は土砂と流木が押し寄せていて、片側一車線・譲り合いの交互通行となっています。

封鎖解除、直後の道路。土砂と流木が道路に。

恐る恐るですが、前を走る工事関係車両の後をゆっくりとついていけば、大丈夫。
「慎重に行こう」急がず焦らず、気持ちを落ち着かせて進みます。

 

珠洲市へ送り届けるべく、同乗していた親族は悲観的な発言を漏らしていましたが、私と妻とで話し、感じたことは逆でした。

「もし一時間早く、この道路を通っていたら?」
⇒「この土砂と流木が横から押し寄せてきていたら?」

懸命に、でも慎重に情報を整理して話し合って、物事を進めながら方向修正して臨めば、道は開けるのではないか。

【物事が就(成)るようになっている】と、夫婦で共有できた感想です。

 

珠洲市総合病院、敷地内に設けられた仮設住宅に親族を送り届けることが出来た頃(3時過ぎ)には、あれだけ猛威を振るった豪雨も止んで小雨になり、晴れ間も垣間見えました。

今回の遠征のヤマは、来た早々の序盤ではあるものの…越えたかな?と思いました。
明日一日をしっかりかけて、家屋整理に臨み・勤しみたいと思います!

 

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